さまぁ〜ずと社会学
さまぁ〜ずのネタで「キノコの話」というものがあります。
おそらく2006年の爆笑ヒットパレードで披露されたもので、
YOUTUBEにUPされたこのネタは今や100万回以上再生されています。
個人的にも大好きなネタですが、これを観ていて思う節があったのでここに記します。
まず、このネタはさまぁ〜ずには珍しい漫才コントです。
動画のコメントには、このネタでM-1に!なんてものもありました。
実際、道具を一切使わず、二人とも立ち状態で会話で成立させています。
そして内容はエピソード型です。これは漫才によくある形で一人がエピソードを話していき、相方がそれに乗っかったり、割り込んでボケを入れたりしていくものです。
使い手として中川家が正統派、これを逆手に取ったのがオードリーと私は考えています。例えば中川家。弟・礼二が川で子供を助け、病院まで救急車で運んだ話をするも、兄・剛が逐一ちゃちゃを入れていくというネタです。
今回のさまぁ〜ず「キノコの話」は、二人がお笑いを始める前に山へきのこ狩りに行き、崖で転んだ三村を大竹が助けたというエピソード。これを三村が進めていきます。
そして大竹がちゃちゃを入れていく、というシンプルなものですが
実はかなり計算された緻密なネタだと考えるようになりました。
では冒頭の部分を紹介します。
三村:きのこ狩りに行った話ならあるよ、お笑い始める前に。
大竹:なんでお笑い始める前におれと行ったの?
三村:いやあの友達だったから
大竹:なんで友達だからってきのこ狩りに行ったの?
三村:食うから。きのこ食いたいから
大竹:あぁ食いたいから。えっどうやって?
このように、大竹はちゃちゃを入れるというよりも既成事実そのものに質問を投げかけていきます。
三村はきのこ狩りに行った話を二人の共有体験として話そうとしますが一方で大竹は、まるで自分は行っていないかのようにふるまいます。
実はこの会話の前提を壊す手法は
社会学のエスノメソドロジーに応用されています。
これは、日常生活での会話の秩序をあえて壊すことによって、目には見えないその秩序の「存在」を明らかにしようとするものです。
社会学者のガーフィンケルは違背実験というものを行っています。例えば、ある学生に、実家に帰ったときに下宿人のようにふるまわせるという内容です。
これによって家族の秩序をあえて壊し、家族のあたりまえを見ようとしたのです。これでどうなるかというと、家族は初めはとまどいますが、次第に説明を求め、しまいには怒り出すのです。
この性質を「キノコの話」ではうまく活かせています。
ちなみにネタにキレやヒートアップさせる要素を含ませ、自然な流れで勢いをつけることは、コントを作る上での課題でもあります。
三村はとまどいながら話を進めていくも、大竹が二人で行った前提を壊し、さらに対象をずらした質問を続けることで三村はついにキレます。時間でいうと2分8秒あたりから。
三村:で、きのこ取ってたら足すべらしちゃったんだよ
大竹:おぉ。それで?
三村:そしたら崖から落ちちゃったんだよ
大竹:えっなんで?なんで?
三村:そこに崖があったから!!
この感情の起伏がネタの勢いを増し、身ぶり手ぶりを使って本気のように見せる三村にこちらは引きこまれ、思わず笑ってしまうのではないでしょうか。
ここからボルテージがどんどん上がっていきます。
大竹のずれた問いかけから三村は、否定→修正→仮定→実践をこなすことで話をさらに膨らませていっています。
会話をするときには、互いに経験を共有している前提で話すため、あいまいにし、ある程度を省略するという文脈依存性があります。
つまり、会話は相互的なプロセスがあって達成されているのです。
さまぁ〜ずはこの会話秩序を壊し、ネタに昇華させています。
本人には自覚はないと思いますが当てはまるだけでも!と感じます。
そして三村のキレは段階的であり、怒りに説得力が出てきます。
故にピークに達したときには、他をより巻き込むことができるのではないでしょうか。
一見、アドリブにさえ見え、シンプルなネタと思いきや
社会学に基づいたネタという側面もあるのです。
お笑いはよく、常識がわかっているからこそ非常識なことができる
というふうに言われることがありますが
まさしくその通りかもしれません。
他にもこのような事例にたくさんあるかと思います。
ある意味で笑いに対する見方が自分の中で変わりました。
お笑いってすごい。